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鞆の浦の景観守られるー埋め立て申請 撤回

広島県は15日、鞆町の鞆港埋め立て・架橋計画の免許申請を取り下げました。

「鞆の景観を守ろう」とねばり強く続けてきた住民運動が実を結び、策定から30年余を経た計画が正式に撤回されました。

万葉の時代から続く文化・景観

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古代より〝潮待ちの港〟として栄えた鞆港には、江戸期の港湾施設である常夜燈・波止(はと)・雁木(がんぎ)・焚場(たでば)・船番所跡が今も残っています。この5つがすべて現存するのは全国でも鞆港だけで、街並みとともに奇跡的とも言える景観を後世に伝えています。

埋め立て架橋計画と住民運動

1983年、鞆港を埋め立て、長さ180mの橋を架けて県道バイパスを通す計画が策定されました。

「交通渋滞の解消」との理由ですが、景観や文化財を大きく破壊するため、住民の反対が強く、いったん計画は凍結。しかし、2004年に就任した羽田皓市長は計画推進を掲げ、事業が強行されようとしました。

「鞆の浦の歴史的な景観を守りたい」と、国内外の著名人からも声が上がり、「鞆の浦を世界遺産に」の署名を16万筆超も集めるなど住民運動が広がりました。07年4月には、住民ら163人の原告団が埋め立て免許差し止めを求め、県を相手に広島地裁に提訴しました。

住民とともに日本共産党も奮闘 

日本共産党は、国会でも国の見解をただし、計画の撤回を要求。辻つねお県議や福山市議団も、住民に寄り添って運動に取り組み、議会でとりあげてきました。山側トンネルや車両離合スペースの確保など代替案を提案し、歴史的遺産を守りながら住環境や観光のための整備をするよう要求し続けました。

裁判に向けては、計画の最大の根拠とされた交通渋滞を検証するため、調査機関の協力のもと、住民と交通量調査を実施。1日7300台と試算された通過交通量が、実際には1300台であることを明らかにしました。

そして、広島地裁は「鞆の浦の景観は国民の財産というべき公益」として、知事に免許を交付しないよう命令。12年に湯崎知事が架橋計画の撤回を表明し、今回の結審へつながりました。

計画反対の住民運動は、景観価値を認めさせ、一度決まった大規模公共事業を差し止めるという歴史的な形で結実しました。

しかし、護岸整備計画など新たな事業が持ち上がっています。世界遺産候補地の調査にあたるイコモスや原告団も懸念を表明しており、今後も景観を守る取り組みが求められます。日本共産党も引き続き、力を尽くします。

 

 

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